僕の部屋の窓からはモン・サン=ミシェルが見える。
東の空と海の境界が朝日の色を帯び赤紫のグラデーションを描く頃、グワァーンと聞きなれたサイレンの音が響く。
このサイレンの音というのは、うちで飼っているペットの、そこらに落ちている大きめの石を重ねて作った人魚が日が昇るのを見て世界が動き出すことを嫌って発する鳴き声である。
僕はこの声を聞くとトイレに行きたくなって目が覚める。
だから仕方がないので用を足すためにわざわざ毎朝床から出る必要があるのである。
ことのついでなのでこの時にペットの散歩も済ませるのだが、散歩に出かけるために毎朝顔を洗い歯を磨き髪を整え服を着替えることが日課となっている。
身支度を終えると散歩に出るのだがペットと言ってもただの石ころの寄せ集めなので僕が一人で散歩をすることになる。
今日も僕は一人で散歩をした。
散歩というのは家の周りをふらふらとほっつき歩き海の上の寺院に足を運んでお祈りをし近場の喫茶店でモーニングを食べて家に帰るというのが恒例になっている。
寺院に行くには海を渡らなければならないのだが、そこは連れている人魚が私を運んでくれるので問題はない。
問題なのは、外に出るといつも何か忘れ物をしているのではないかと不安に襲われることである。
だから僕は外で何度もポケットの中身を確認する。
小銭と煙草とライターが入っているのを確認すると束の間安心するのだが人とすれ違うたびまた不安になるのである。
というのもその視線が僕を嘲笑っているかのように見えるからである。
そこで僕はひょっとすると服を着るのを忘れているのではないかとか頭に十円大の禿げができているのではないと心配になり窓ガラスなどに映る自分の姿を確認するのだが今度は果たして自分の目が見ているものは本当なのかとまた不安になるのである。
そうして自分がなにを忘れているのかを考えているうちに寺院に到着する。
その寺院では僕の妻が祀られているのでこうして毎朝会いに来て話をするのである。
僕には妻以外に知り合いがいないので、これが一日の内で唯一言葉を発する機会であり彼女が僕の唯一の話し相手である。
つまり、僕が言葉を交わすのは妻相手にだけであるので、彼女は間違いなく僕の妻なのであるがどんな容姿であるかを拝んだことは一度としてない。
彼女がとても恥ずかしがりであることはよく知っているので仕方がない事ではあるのだが、それでも姿が見えないのでは不安になるのでときどきこう尋ねるのだ。
「君は本当にそこにいるのかい」
答えは返ってこないのだが彼女が恥ずかしがりであることはよく知っているので構わず続ける。
「僕は、これほどなにもできないのにどうしてそこにいてくれるんだい。君は本当にそこにいるのかい。これからもそこにいてくれるのかい」
するとやはり答えは返ってこないので僕は彼女がそこにいるのだと安心して、別れの言葉を告げたのち、明日また来るからと言って帰路に就くのである。
帰りがけに喫茶店に寄り朝食を摂るのだが、ここのトーストには付けて食べるようにバターとジャムが出る。
僕はジャムの甘いのがあまり好きではないのでバターだけを塗りジャムはそのまま食べる。
甘くて吐きそうになるのでコーヒーを飲んで誤魔化すのである。
しかしそれで気持ちが悪くなってしまうので食欲が失せてしまい今までトーストを食べられた試しがない。
そもそもトーストは口の中がパサついてしまうので嫌いなのだ。
また、付け合わせでサラダとゆで卵が付いているので、サラダは食べてゆで卵は人魚に食べさせてやろうといつもポケットに入れて持って帰るのである。
家に着くと僕は楽な服に、つまりパジャマに着替える。
このとき、なぜかいつも外に履いて行ったズボンのポケットに殻が割れてぐちゃぐちゃに潰れたゆで卵が入っているのだがきっと誰かが嫌がらせをしているのだろう。
こういう輩はこちらが反応を示すと決まって喜ぶ傾向にあるので僕はこれを無視するのである。
僕は家でどのように過ごしているかというと、うちの庭には石を無造作に積み重ねたような醜いオブジェのようなものがあるのだが、これがまるで生きているかのように見えてとても美しいのでこれを眺めて過ごすのである。
気付けば日が落ちていて、僕はなんだか一日を無駄に過ごしたようななんとも虚しいような腹立たしいような気分になる。
それでもあたりが暗くなった以上眠らなければならないので僕はとても焦ってしまう。
床に入り、深呼吸をして羊を数えてなんとか眠ろうとするのだがなかなか寝付けないのが常である。
そうして眠れないでいるとサイレンのけたたましい音が聞こえてきて僕は尿意を感じて目を覚ますのである。