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本、アニメ、ゲームなどの感想や、日々思ったことの備忘録。 チラシの裏、あるいは記憶の屑カゴ。

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心理学について 雑記その1

久しぶりの更新。
大学に入って半年ほど心理学徒として勉強してきて、
思いついたアイデアを書き殴ってみようと思う。

はじめに断っておきたいのは、これはあくまでアイデアの雑記であって、
検証も証明もしていない、いってしまえばただの思い付きである。
また、心理学についてと言っておきながら心理学の中身についてではない。
「”心理学”について 雑記」、ではなく「”心理学について” 雑記」である。
所詮はヴィトゲンシュタインかぶれのただの学部一年の戯言と思って読んで欲しい。
と、予防線を張りまくっておいて、感想、質問、批判などあれば大歓迎です!
では、書き殴っていこう。


・心理とは意識過程の集合である。

・心理とは概念に過ぎない。

・「心理」という語はその使用を持っているが、その語が指す物質的対象が存在するわけではない。

・意識過程と心理との関係は、実数とその無限集合の関係に似ている。

・心理的現象とは意志、あるいはその表象である。

・日常で私達は他者の意識を見ることは出来ない。
 そこで、他者の内に心理は存在しないと仮定する。
 しかし、他者の振る舞いを見ることは出来る。(泣く、笑う、怒るetc.)
 そして、それに対して何らかの適切だと思われる反応を返すことも可能である。
 つまり、私達が他者における心理と呼ぶものはその振る舞いに対する解釈である。
 (そしてこの心の働きに対する解釈は検証も反証も出来ない。)

・たしかに、ある脳波がある仕方で出ているので、こういう心理状態にある、ということは出来る。だが、ここで検証されたことは心の働きではなく脳の働きである。(脳の働きによって生じる怒りと、心の働きによって生じる怒りとを区別する。)

・先の例では心理的現象を脳の働きとして検証したが、意識過程については語られていない。

・心の働きとはこの意識過程のことである。

・問題の一つとしてこの意識過程はいつ生じるのか、ということがある。

・ある意識過程が他の意識過程を生起させることもある。

・意識には必ずその対象が存在する。(「xについて考える」、「xと思う」、「xなのが悲しい」etc.)

・「漠然とした不安を感じる」などの場合は、「”不安”を感じる」のであり、その”不安”は”漠然とした何か”を対象としている。
 また一方、「腹が減る」などというのは体感に対する感想という意識であり対象はまさに「腹が減る」ということである。(「空腹を感じる」)
 この例では、意識過程と対象(原因)が一致しているといえるのかも知れない。

・意識の対象が意識を生起する。意識過程は対象と意識の間に”在る”。

・脳の働きについての検証がしたことは意識についての”説明”である。対象や意識過程についての記述ではない。

・意識とその原因としての脳の働きとの関係を明かすのは脳科学の仕事であり、心理学の感心事ではない。

・ある心理現象を脳の活動として説明する場合を考える。
 「ある脳の状態の時、人は悲しさを覚える」と言えるだろうがこうも言える。
 「ある脳の状態の時、人は悲しさを経験する」と。
 前者での心理現象は「悲しい」と「覚える」であり、「覚える」の対象は「悲しさ」であるが、「覚える」の部分は後者のように心理現象によらない表現が可能である。しかし一方で、両者とも「悲しい」という語を意識として(あるいは意識過程としても)説明出来てはいない。この「悲しい」には対象が存在しない。つまり、「悲しい」という現象の原因としての脳の働きを説明しただけなのである。

・社会心理学についても同様のことが言える。
 「ある社会的状況(環境)において、人にはこういう心理が働き、こういう行動を取る」というような説明において、心理についての記述はまったく余計である。やはり、この場合も人の行動(それが心理の表出だとしても)と社会の関係について説明しただけで、意識過程については何も明らかに出来ていない。にもかかわらず、「これこれの心理によって」などと取って付けたように加えるせいで違和感が生じるのである。なので、ただこう言えばよい。
 「ある環境において人はこういう行動をとる」と。これに違和感を感じるならそれはこういう命題を見慣れていない為であろう。この命題は本質的に「力を加えると物体には加速度が生じる」と言うのとなんら変わりはない。

・意識過程は行動主義がブラックボックスのままで良いとしたまさにその部分である。

・行動主義の成果は、行動療法など、心理学の応用分野で役に立っている。つまり、意識過程についての解明は必ずしも必要と言うわけではないのである。

・では意識過程を解明しようとするのは何のためなのか。

・心理学は発展していない。心理学的命題(仮説や真らしい理論)の数が増えただけで、その命題を生み出す為の操作・方法つまり論理についてはおよそ静止したままである。また、その心理学的命題の多くは、心理についての研究によって得られたものではない。

・心理学の方法にはどんなものが適切なのだろうか。例えば、自然科学の方法論は心理学に適切なのだろうか。そもそも心理学の源流は哲学にある。経験科学として分化したのはヴントが実験心理学を創始した1879年である。

・知性とは心理の限界である。

・他者の心理について考えるとき、我々がその判断材料として前提するのは自身の心理あるいは心理に関する体験である。


とりあえず書き溜めてたものは以上です。
正直、自分でもまだ整理が出来てないので本当に書き殴りだし、半端な終わり方で申し訳ないです。
また、溜まってきたら雑記その2として書こうかなと思ってます。
ここまで読んでくれた人がもしいたらありがとうございました!
ではでは。
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